2009年12月05日

佐竹義宣

なんだか凄い久しぶりの更新になりました。
まぁ、見てる人もほとんどいないからいいんだろうけど。笑

今回は佐竹義宣です。義宣の父は坂東太郎、鬼義重として有名な佐竹義重。
私は佐竹はこの本を読むまでほとんど知らなかったのですが
父の義重の方はこの義宣の本でも有能だったんだろうなと思うのですが
義宣はなんだかあまり有能とは思えませんでした。

義宣は三成と昵懇で豊臣政権時代は常陸50万石ぐらいもらっていたのですが
関ヶ原の時の態度がどっちつかず、日和見順慶か!って感じです。
三成には恩があるから義を貫き西軍に味方したい、でも家臣たちは
皆徳川にと言うしもし西軍が負けたら…

三成にも家康にもどちらにもいい顔するような書状を送り佐竹は動きません。
結局は東軍の家康が勝ち、家康は曖昧な態度だった佐竹に怒り心頭。
確実に佐竹が東軍派であればサクサクッと上方に行けたものを…

そのお陰で佐竹は常陸から秋田へと移封。
更に義宣が存命中は石高を明かしてはならぬ、と。
秋田への移封については義宣の家臣である東義久と家康との会話。

家康「佐竹を潰すつもりはないが国替えを命じる予定」
義久「佐竹が上杉を抑え徳川に追い討ちをかけなかったからこそ。
佐竹家に勝る奉公はない。」
家康「されば、義久存命中は佐竹の国替えは致すまい」

こんな感じの会話があります。
義久は当時48歳、家康は60歳。順当に行けば家康が先に死ぬのですが
義久はこの直後に急死し、家康は佐竹に国替えを…

この本によると約50万石の佐竹が動員できる兵は2万程。
福島正則等の大名をひきつれ、数は家康のが優位であるとはいえ
坂東武者と呼ばれる関東の武士は勇猛で知られまた佐竹は
追い討ちが得意とされているし退く時が一番損害が大きい。
家康にとっては脅威だったんでしょうね…

もったいない事をしました。笑
そんな感じで考え方が偏っているように見え、また考えも甘く
やはり偉大な父と比べられてしまうせいかそれ程有能には見えませんでした。

しかし義宣の頃は伊達との戦いがいくつかありましたが、すぐに
秀吉により天下統一されていた事もあり割と平和な時代だった事が
成長できなかった原因なのかもしれないなぁ。と思いました。

ハッキリと有能!とは言えないもののなんだか味のある
ちょっと愚鈍なでも嫌いになれない、そんな武将かなぁ。笑
近衛龍春は佐竹義重の小説も書いているのでそちらも機会があれば
読みたいと思いました。


posted by yu-ko at 11:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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