2009年11月01日

加藤清正

なんだか随分久しぶりな気がしますが。
今回は上下巻だったので読むのに時間かかりました。
最近は調子も悪くて電車で読んでるとつい寝ちゃうんだよね。笑

海音寺潮五郎の加藤清正です。
どっからどうみても海音寺潮五郎好みの清正。
悪いとこなんてないんじゃないか、ってぐらい良くかかれています。

清正が秀吉に仕官するところから始まり亡くなるまでがかかれており
小さい頃から利発で勘のよい人。いつの時代も言われた事だけやるのは
当たり前、そこに含まれた先の事も考えて行動する。
清正にはそれができ、秀吉と親戚でもある事からどんどん出世していく。

朝鮮出兵の時の話なんとも言えない感じです。
三成・小西としては秀吉・朝鮮・明を騙してでも和睦を結びたい。
清正も朝鮮出兵は失敗だったと思っており秀吉の和睦条件を
朝鮮・明側がのむのであれば、和睦がいい。

朝鮮出兵だった事は間違いだった事は明らかで、朝鮮上陸後
しばらくは日本軍が快勝していた事もあり成功かと思われたが
どんどん進んでいって、海から離れ更に制海権は朝鮮・明側に握られ
兵糧輸送もままならない状態になってからは秀吉も間違いと
気づいただろうがそこは太閤、「間違いだった、てへっ」
じゃ済まないし、言い出せない。

面目を保ちつつ和睦、それなりに日本に有利な和睦を望んだところで
朝鮮・明側は突然意味もなく攻められ、日本に有利な和睦を結ぶわけがない。
そうなると騙して和睦するのが一番簡単だと思ってしまうのも仕方がない。
という気がしなくもないのですが、清正好きとしては三成・小西が
清正邪魔、と秀吉に進言し謹慎処分にされるのはなんとも。

結局、大地震の時に真っ先にかけつけた事、利家・家康の進言もあり
許されるわけですが。ちょっとイライラっとします。笑
清正好きなので…

後半は秀頼・豊臣家の為に、浅野幸長・福島正則と共に奔走。
しかし淀殿がぶち壊す的な感じが繰り返され…
大阪冬の陣・夏の陣よりも前に清正が死んでしまったのは
死後も世の中を見れていたら、清正は悔しかっただろうなぁ。

自分がいたら大阪冬の陣・夏の陣はさせない!って思っただろうな。
でも秀吉の死後、既に実質天下は徳川のものだったわけで
大名の誰もがそれを理解しており理解してないのは淀殿を中心とした
豊臣家だけ。清正がもう少し長生きしたところで、いつかは
実質から名実ともに徳川が天下をとる事には間違いないわけで。
と思うと豊臣家が滅びる前に旅立った清正は幸せなのかなぁ。


posted by yu-ko at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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