いつも以上にネタバレありですが。
家康の父が信玄だったという説は以前から知っていたけども
私としてはまぁ、ないかな。という感じ。
しかし東照宮に武田花菱が描かれていたり、信長に焼かれた信玄の菩提寺
恵林寺を再興したのが家康だったりした事もあり、いくら尊敬していたとはいえ
気になる点が何点かあるので私としてはそのあたりを解明というか
推理していくようなものと思い読み始めたのです。
※「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは誰もが知っている言葉だと
思いますが、恵林寺が信長に焼かれた時に快川和尚が発したものです。
ところがそういったところではなく、状況証拠ばかりをあげ連ねるばかり。
今みんなが家康だと思っているのは松平元康ですが、実は弟の信元だった
家康影武者説に、更にまた信玄影武者説。
その根拠は家康(信元)が元康の長男である信康、正室の築山殿を
自害に追い込んだ話、いくら信長に言われたとはいえ自害させるなんて…
信元が家康なら万事解決!他人だし、他人の中でも自分の夫であれば
元康じゃない事がバレてしまう!とか石川数正出奔も、信元なら!
同じように義信謀反により自害に追い込む話もそう。
それで「影武者ならこういった矛盾も解決!」と言うなんともまぁ
説得力の薄い話ばかりでございました。笑
更にこの本、後ろの方には上杉謙信は女だったという話も書かれてるのですが
こちらも同じ調子で、毎月10日前後に体調不良になるのは生理だから。
9月10日に行われた川中島第四回、上杉が撤退したのは謙信が
生理が始まったから。とかしょーもない突っ込みどころ満載なお話。
全然想像したのと違っていたのと根拠の薄い話ばかりでガッカリです…

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信玄がとーちゃん説は初耳でした!(爆)
そうでもないのかな?それにしても根拠なさすぎだけど、この本。笑
でも有名な武将であれば影武者説・落ち伸び説?は結構聞くので
ありえない話ではないですよね。
ありました、あちこちに勝頼にゆかりのある神社や寺。
長男の義信生存説も南部武田家を見たら出ていました。
阿波には、信綱、信豊、信基などなどが落ち延びたとされてますし、讃岐には勝頼の三男の勧請したとされる神社があります。
すごいぞ四国、集合して武田を立て直そうとしたのか?
しかも勝頼が没して400年という事で土佐の高知ではイベントが!
それより、Noiさんの行動力は凄いですね。
武田家の子孫がやっている酒屋さんが確か四国でした。
しかしなぜ四国だったんでしょうね?
義信・勝頼生存説、落ち伸び説はありそうな話ではありますが
四国というのがちょっと謎ですね。
初めて知る内容ばかりでした。情報ありがとうございました!
土佐に安芸という地名があり、土佐の武田氏と関連がある事などに興味を持っております。
武田家の子孫がやっている酒屋というのに関連し、こんな興味深い話がありますよ
高知県の、それこそ武田勝頼が落ち延びた里に司牡丹という有名な酒造があります、
その中の文献に、武田勝頼と一緒に土佐に付いてきて岡林家を名乗った一族の記録があるようで、その一族は司牡丹との取引があり、才谷屋岡林氏との取引が色々と記録されておるようです。
その才谷屋からは坂本龍馬が出ております。坂本龍馬の本家が才谷屋ですから。
ですが才谷屋の創業者と云われる者は姓が違っておりますので、才谷屋にも何種類かあったのかもしれません。
また山内氏に召し抱えられた土佐の武田氏も多いと云われており、土佐の和紙は武田の技術によって栄えたとも云われております。
まだ他にも驚くべきことに、高知で有名な企業の代表や政治家は武田家の末裔が半分はいるくらいなのですよ。山本勘助の末裔もおります(香宗我部氏を頼って土佐へ来た)。調査したところ、他の県にはこれほど武田と名乗る方はおりません。
あと、土佐の一条氏(甲斐武田との繋がり)や、長宗我部氏(長野県出)も元を辿れば勝頼達とゆかりのある氏族です。
香宗我部氏は、武田割菱の紋のついた陣羽織が見つかっており、また甲斐武田の後裔です。
阿波の三好氏(武田→小笠原→三好)もそうです。
現在でも武田一族などによって、勝頼の伝えた玄蕃踊りや太鼓が行われているという事です。
いやぁ、凄い情報量ですね!
私は勝頼四国落ち延び説は知らなくて、上の方のコメントで知ったぐらいなので…
長宗我部氏は四国ではなく元々は長野の出だったんですか?
土佐の一条氏の一条は一条信龍の一条家と関係があったんでしょうか。
初めて知る事ばかりで、びっくりしています。
でも、どこに落ち延びても不思議ではないですからね。